施術者プロフィール

電話番号

滝明美

鍼灸師、ファシリテーター、アドバイザー

29歳の時、悪性リンパ腫・余命3か月の宣告を受ける。
即、手術したが、すべてを取り除くことはできなかった。
しかし、我流健康法により3か月後、無事退院。
この体験により、医療の道を志す。
医療専門学校に通い、国家資格を取得。
補完代替医療 + 鍼灸治療院の「りらく按鍼灸治療院」を開業。

滝写真
取得資格
  • THE WAT PO TRADITIONAL MEDICAL SCHOOL
  • JAA アロマコーディネータ ー
  • JAA アロマトリートメントセラピスト
  • 鍼灸師(国家資格)りらく按鍼灸治療院、りらく按掛川院・院長
  • 日本自律神経病研究会(準会員)
  • マクロビオティック(正食協会)クッキングスクール初級コース終了
  • NGH(米国催眠士協会)インストラクター
  • ABH(米国催眠療法協会)マスターインストラクター

わたしの目指していること

電話番号
01

統合医療(西洋医学+ 東洋医学)から、免疫力を最適にするための各種の補完代替医療の活用

02

最終的には、薬を減らし、各人が病気から身を守れるだけの免疫力・自然治癒力を維持させる

03

各人が、東・西洋医学や補完代替医療を含めたあらゆる治療法や可能性の中から、自身に合った
最適な治療方法を選択していけるように、ファシリテーター・アドバイザーとしての役割を果たす

各人が、東・西洋医学や補完代替医療を含めたあらゆる治療法や可能性の中から、自身に合った 最適な治療方法を選択していけるように、ファシリテーター・アドバイザーとしての役割を果たす

わたしがどうやって末期がんを克服したか わたしがどうやって
末期がんを克服したか
29歳の頃、私は悪性リンパ腫・余命3か月の宣告を受けました。痛みはないものの、
数か月前より左首の付け根に(ピンポン玉大)の硬いしこりがあり、それが気がか
りである時、県西部のS総合病院にて細胞検査を行いました。
数週間後、検査結果を聞くために病院再訪。早急の入院を勧められ、数日後、外科
手術によりその腫瘍を切除。
ところが、癌細胞は既に全身にリンパ転移しており、全てを取り除くことは不可能
でそのまま縫合。8時間半にわたる大手術はこうして終了しました。
(わたしの首元には、いまだに40数針の傷跡がうっすらと残っています。)
胸部画像(MRI)には夜空に散らばる星々のように広範囲に白く点在して光る癌細胞
がはっきりと写し出されていました。
当時はインフォームドコンセントが現在ほど定着していないため、その事実は家族に
のみ伝えられました。
わたし自身が確信したのは、内科治療が始まって三日目。頭髪のほとんどが一気に抜
け落ちて、「これは癌だったのか!」という事実を認めざるを得ませんでした。治療
は壮絶でした。注射による抗癌剤の投与後は(それも馬にでも打つのかとと思うほど
のBIGサイズの注射器でかなり痛い。)を臀部に打たれると、瞬く間に体中に熱感が
走り、特に頭部への熱感上昇が異常なほど強く、頭部を専用の氷嚢で氷漬けにしても
髪は毛根が焼き切れたように脆くなり、手櫛で髪を掴むと、そのままごっそりとかた
まり状になって髪が抜け落ちました。吐き気やめまいは常にあり、特に胃の不快感は
けた外れでした。胃液さえも出尽くした胃袋が押しあがって喉から出てくる感じ!
頭の中は四六時中ぐるぐる回転して、平衡感覚が全くつかめず、歩行困難!そして、
体重の激減!常用薬はプレドニン(ステロイド剤)です。1日10錠以上の処方であっ
たと思います。「こんな治療がずっと続いたら、それこそ死んでしまう!」
ところが入院から3か月後!わたしは、ムーンフェイスとなり、激太りの体を揺らしな
がらも無事退院!胸部の転移リンパ腫もすべて消滅!(退縮)を検査で確認してから
の退院となりました。
なぜわたしは末期癌から生還できたのか?
なぜ、今もって元気に生きていられるのか?
それは、入院中のわたしが直感的に閃いて始めた、我流健康法のお陰でした。
やり方は、いたってシンプル!!
「抗癌剤の治療は2クールだけ、やってみよう。」(1か月1クールの治療を約2か月間)
「プレドニン、その他の薬も、2か月だけ使用!」その後はどんどん減らしていく。
ベッドの中では、腹式呼吸をしたり、瞑想(特にイメージ療法を行う)
起き上がれる時には、病院内の廊下をマメに歩きまわり、(適度な運動)食事も食べ
られる時には、しっかりといただく。
「自分の病気は、自分で治すしかない!」
ただ、ただ、その思いのみが際立っていたにすぎません。

入院初期の頃は、異常な便秘に悩まされ、便意はあるものの便の出てくる気配が全く
ないために、トイレで踏ん張り過ぎて外痔になってしまうほどでした。しかし、それでも便通はなく、ほとほと参りました。
目覚めるたびに意識は常にお尻の状態(外痔)と便意に集中!
その後、水を天然水に替えてかなりの量を飲むようになると、それほど頑強な便秘が
緩やかなお通じに変化!旬の食材を十分に活用した食事を摂ることにより、この状態
からも徐々に離脱。手術から3年後にはムーンフェイス(ドッジボール顔)ともおさらば! 全く普通の主婦としての日常生活が送れるようになりました。
今にして思えば、この我流健康法こそ当時はまだ影もかたちもなかった。(研究会がまだ発足していなかったため)
「自律神経免疫療法→安保・福田理論による」を知らず知らずに実践していたことになり ます。現在「自律神経免疫療法」と共に推奨される、低下していた免疫力を上げるため の基本メソッドの内容にもほぼ合致していたことに驚かされました。

免疫力を上げるためのメソッド
メソッド1・・・「自律神経免疫療法」による爪もみ
薬からの離脱・体温の維持(保温等)
メソッド2・・・適度な運動の持続。
メソッド3・・・腹式呼吸法・瞑想等
メソッド4・・・食の選択
メソッド5・・・入浴方法

これらの体験がわたしにとって医療の世界に目を向けるきっかけとなりました。
元々、目に見えない生体エネルギー「気」や精神世界、特に「心」の分野(潜在意識や
顕在意識・共時性等に)興味があり、後年(50代で)医療専門学校に入学、国家資格取得後、補完代替医療 + 鍼灸治療院の独立開業を果たすことができました。
29歳の頃、私は悪性リンパ腫・余命3か月の宣告を受けました。痛みはないものの、 数か月前より左首の付け根に(ピンポン玉大)の硬いしこりがあり、それが気がか りである時、県西部のS総合病院にて細胞検査を行いました。
数週間後、検査結果を聞くために病院再訪。早急の入院を勧められ、数日後、外科 手術によりその腫瘍を切除。
ところが、癌細胞は既に全身にリンパ転移しており、全てを取り除くことは不可能 でそのまま縫合。8時間半にわたる大手術はこうして終了しました。 (わたしの首元には、いまだに40数針の傷跡がうっすらと残っています。) 胸部画像(MRI)には夜空に散らばる星々のように広範囲に白く点在して光る癌細胞 がはっきりと写し出されていました。
当時はインフォームドコンセントが現在ほど定着していないため、その事実は家族に のみ伝えられました。
わたし自身が確信したのは、内科治療が始まって三日目。頭髪のほとんどが一気に抜 け落ちて、「これは癌だったのか!」という事実を認めざるを得ませんでした。治療 は壮絶でした。注射による抗癌剤の投与後は(それも馬にでも打つのかとと思うほど のBIGサイズの注射器でかなり痛い。)を臀部に打たれると、瞬く間に体中に熱感が 走り、特に頭部への熱感上昇が異常なほど強く、頭部を専用の氷嚢で氷漬けにしても、 髪は毛根が焼き切れたように脆くなり、手櫛で髪を掴むと、そのままごっそりとかた まり状になって髪が抜け落ちました。吐き気やめまいは常にあり、特に胃の不快感は けた外れでした。胃液さえも出尽くした胃袋が押しあがって喉から出てくる感じ! 頭の中は四六時中ぐるぐる回転して、平衡感覚が全くつかめず、歩行困難!そして、 体重の激減!常用薬はプレドニン(ステロイド剤)です。1日10錠以上の処方であった と思います。「こんな治療がずっと続いたら、それこそ死んでしまう!」
ところが入院から3か月後!わたしは、ムーンフェイスとなり、激太りの体を揺らしな がらも無事退院!胸部の転移リンパ腫もすべて消滅!(退縮)を検査で確認してから の退院となりました。
なぜわたしは末期癌から生還できたのか?
なぜ、今もって元気に生きていられるのか?
それは、入院中のわたしが直感的に閃いて始めた、我流健康法のお陰でした。
やり方はいたってシンプル!!
「抗癌剤の治療は2クールだけ、やってみよう。」(1か月1クールの治療を約2か月間) 「プレドニン、その他の薬も、2か月だけ使用!」その後はどんどん減らしていく。
ベッドの中では、腹式呼吸をしたり、瞑想(特にイメージ療法を行う) 起き上がれる時には、病院内の廊下をマメに歩きまわり、(適度な運動)食事も食べ られる時には、しっかりといただく。
「自分の病気は、自分で治すしかない!」
ただ、ただ、その思いのみが際立っていたにすぎません。

入院初期の頃は、異常な便秘に悩まされ、便意はあるものの便の出てくる気配が全くな いために、トイレで踏ん張り過ぎて外痔になってしまうほどでした。しかし、それでも 便通はなく、ほとほと参りました。
目覚めるたびに意識は常にお尻の状態(外痔)と便意に集中!
その後、水を天然水に替えてかなりの量を飲むようになると、それほど頑強な便秘が緩 やかなお通じに変化!旬の食材を十分に活用した食事を摂ることにより、この状態から も徐々に離脱。手術から3年後にはムーンフェイス(ドッジボール顔)ともおさらば! 全く普通の主婦としての日常生活が送れるようになりました。
今にして思えば、この我流健康法こそ当時はまだ影もかたちもなかった。(研究会がま だ発足していなかったため)
「自律神経免疫療法→安保・福田理論による」を知らず知らずに実践していたことにな ります。現在「自律神経免疫療法」と共に推奨される、低下していた免疫力を上げるため の基本メソッドの内容にもほぼ合致していたことに驚かされました。

免疫力を上げるためのメソッド
メソッド1・・・「自律神経免疫療法」による爪もみ、薬からの離脱・体温の維持(保温等)
メソッド2・・・適度な運動の持続。
メソッド3・・・腹式呼吸法・瞑想等
メソッド4・・・食の選択
メソッド5・・・入浴方法

これらの体験がわたしにとって医療の世界に目を向けるきっかけとなりました。
元々、目に見えない生体エネルギー「気」や精神世界、特に「心」の分野 (潜在意識や顕在意識・共時性等に)興味があり、後年(50代で)医療専門学校に入学、 国家資格取得後、補完代替医療 + 鍼灸治療院の独立開業を果たすことができました。
29歳の頃、私は悪性リンパ腫・余命3か月の宣告を受けました。
痛みはないものの、数か月前より左首の付け根に(ピンポン玉大)の硬いしこりがあり、 それが気がかりである時、県西部のS総合病院にて細胞検査を行いました。
数週間後、検査結果を聞くために病院再訪。早急の入院を勧められ、数日後、外科 手術によりその腫瘍を切除。
ところが、癌細胞は既に全身にリンパ転移しており、全てを取り除くことは不可能 でそのまま縫合。8時間半にわたる大手術はこうして終了しました。 (わたしの首元には、いまだに40数針の傷跡がうっすらと残っています。) 胸部画像(MRI)には夜空に散らばる星々のように広範囲に白く点在して光る癌細胞 がはっきりと写し出されていました。
当時はインフォームドコンセントが現在ほど定着していないため、その事実は家族に のみ伝えられました。
わたし自身が確信したのは、内科治療が始まって三日目。頭髪のほとんどが一気に抜 け落ちて、「これは癌だったのか!」という事実を認めざるを得ませんでした。治療 は壮絶でした。注射による抗癌剤の投与後は(それも馬にでも打つのかとと思うほど のBIGサイズの注射器でかなり痛い。)を臀部に打たれると、瞬く間に体中に熱感が 走り、特に頭部への熱感上昇が異常なほど強く、頭部を専用の氷嚢で氷漬けにしても、 髪は毛根が焼き切れたように脆くなり、手櫛で髪を掴むと、そのままごっそりとかた まり状になって髪が抜け落ちました。吐き気やめまいは常にあり、特に胃の不快感は けた外れでした。胃液さえも出尽くした胃袋が押しあがって喉から出てくる感じ! 頭の中は四六時中ぐるぐる回転して、平衡感覚が全くつかめず、歩行困難!そして、 体重の激減!常用薬はプレドニン(ステロイド剤)です。1日10錠以上の処方であった と思います。「こんな治療がずっと続いたら、それこそ死んでしまう!」
ところが入院から3か月後!わたしは、ムーンフェイスとなり、激太りの体を揺らしな がらも無事退院!胸部の転移リンパ腫もすべて消滅!(退縮)を検査で確認してから の退院となりました。
なぜわたしは末期癌から生還できたのか?
なぜ、今もって元気に生きていられるのか?
それは、入院中のわたしが直感的に閃いて始めた、我流健康法のお陰でした。
やり方は、いたってシンプル!!
「抗癌剤の治療は2クールだけ、やってみよう。」(1か月1クールの治療を約2か月間) 「プレドニン、その他の薬も、2か月だけ使用!」その後はどんどん減らしていく。
ベッドの中では、腹式呼吸をしたり、瞑想(特にイメージ療法を行う) 起き上がれる時には、病院内の廊下をマメに歩きまわり、(適度な運動)食事も食べ られる時には、しっかりといただく。
「自分の病気は、自分で治すしかない!」
ただ、ただ、その思いのみが際立っていたにすぎません。

入院初期の頃は、異常な便秘に悩まされ、便意はあるものの便の出てくる気配が全くな いために、トイレで踏ん張り過ぎて外痔になってしまうほどでした。しかし、それでも 便通はなく、ほとほと参りました。
目覚めるたびに意識は常にお尻の状態(外痔)と便意に集中!
その後、水を天然水に替えてかなりの量を飲むようになると、それほど頑強な便秘が緩 やかなお通じに変化!旬の食材を十分に活用した食事を摂ることにより、この状態から も徐々に離脱。手術から3年後にはムーンフェイス(ドッジボール顔)ともおさらば! 全く普通の主婦としての日常生活が送れるようになりました。
今にして思えば、この我流健康法こそ当時はまだ影もかたちもなかった。(研究会がま だ発足していなかったため)
「自律神経免疫療法→安保・福田理論による」を知らず知らずに実践していたことにな ります。現在「自律神経免疫療法」と共に推奨される、低下していた免疫力を上げるため の基本メソッドの内容にもほぼ合致していたことに驚かされました。

免疫力を上げるためのメソッド
メソッド1・・・「自律神経免疫療法」による爪もみ
        薬からの離脱・体温の維持(保温等)
メソッド1・・・「自律神経免疫療法」による爪もみ薬からの離脱・体温の維持(保温等)
メソッド2・・・適度な運動の持続。
メソッド3・・・腹式呼吸法・瞑想等
メソッド4・・・食の選択
メソッド5・・・入浴方法

これらの体験がわたしにとって医療の世界に目を向けるきっかけとなりました。
元々、目に見えない生体エネルギー「気」や精神世界、特に「心」の分野(潜在意識や顕在意識・共時性等に)興味があり、
後年(50代で)医療専門学校に入学、国家資格取得後、補完代替医療 + 鍼灸治療院の独立開業を果たすことができました。